My Lost Dream

13ヶ国18都市を駆け抜けた2ヶ月間のお話。

コーヒーブレイク

Day3:Siberia



5分ごとにスマホを見ては、電波が入っていないか確認する。アンテナが立つことは滅多にない。



ロシア家族が部屋に来て2時間ほど。ベッドメイキングに疲れたのだろうか、家族揃って昼寝を始めた。未だに会話は交わせていない。それもそうだ。ロシア人は英語が話せないとは聞いていたが、まさか"ハロー"すらスルーされるとは。コミュニケーション力が絶望的に欠けている私としては出鼻どころか顔面を殴打されたような気分であった。



これからどうして付き合っていこうか。そんな不安への対策を漠然と考えていると列車が駅に着いた。すると父は家族を起こし、みな上着を着始める。こんな短時間の乗車で2等車を取ったのか。あまりの下車の速さに唖然としながらも、ベッドの上から”バーイ”と再び声をかける。すると父はこちらを一瞥し、荷物を持たずに家族と共に通路へ出た。どうやら下車したわけではなく、休憩のために外へ出ただけのようだ。

昨晩から一度も外の空気を吸っていなかった私も、この機会に外へと繰り出す。廊下に張り出されている時刻表と時計を見比べ、今ここがハバロフスクだということ、そして30分の停車時間があることを理解した。

パスポートとチケットを手にホームへ降り立つ。久しぶりの新鮮な空気を体内に取り込み、大きく伸びをする私。気温はマイナスだが空には雲の一つもない。そんな澄み切った空を眺めていると、視界を一筋の煙が遮る。目線を少し下げると同室の父が煙草を吸っていた。妻に娘を預け、私と同じように空を眺めながら1人気持ちよさそうに一服する父。私はそっと彼に近づき、勇気を振り絞り再び”ハロー”と話しかけてみる。これで無反応なら、もう二度と声なんてかけてやるもんか。部屋内での冷戦を覚悟し様子を伺うと、煙草を咥えながら父は何度かうなずいた。わずかではあったものの、反応があっただけでも大きな進歩だ。私はこのチャンスを逃すまいと、すかさずスマホを取り出す。Google翻訳様のお出ましである。翻訳をロシア語に変え、”どこまで行くの?”と尋ねる。スマホの画面を向けると、彼はグッと近づきのぞき込む。そして加えていた煙草を手に取りこう口にした。





-マスクヴァ―。-




私は彼の示した場所がモスクワだと理解するのに多少の時間を要した。



そして、それが



”終点までこの家族と一緒”という事実を理解するのにはさらに多くの時間を要した。





全てを悟った時には正直絶望した。今の今まで会話はおろか、一度も笑顔を見せない家族と共に残りの6日間を過ごさなくてはならないのだ。次々に乗客が入れ替わり、様々な人との会話や交流を楽しみにしていた私としては、この鉄道旅の一番の醍醐味を失ったような気がして茫然と立ち尽くす他なかった。



少し経って乗務員が大声をあげていることに気づく。小走りで列車へ戻り部屋へと進む。列車は再び走り出した。



コートを壁にかけ振り返ると、父が私に向かって自分の隣に座るよう促してきた。窓と垂直に立てられたテーブルには立派なテーブルクロスがかかり、コーヒーや砂糖が並べられている。彼は私にグラスを渡し、スプーンでかき混ぜる仕草を見せた。一緒にコーヒーでも飲みながら話をしようと言っているように見えた。コーヒーブレイクとは名ばかりのぎこちない会話を就活で幾度となく経験してきた私も、突然の出来事に少し戸惑う。そんな私の手を掴み、父は車掌室の前に取り付けられた給湯器まで私を連れていった。彼に使い方を教わり部屋に戻ると、父はグラスに粉末を入れ、私に渡した。



熱々のコーヒーはグラスを伝い、外で冷え切った私の手を温める。
少し啜り、閉じていた目を開くと、無邪気な笑顔を浮かべる少女の顔が湯気の奥に見えた。



コーヒーに手を、笑顔に心を温められた悩める青年。



私と同じで、この家族も不安だったのかもしれない。
そう思った。



いつしか緊張は窓の外に解けていった。